伊太利亜政府日本現代美術品買上
1941年04月文化提携の為、昭和十四年伊政府は我が国画壇より毎年一点を買上げることを決定してゐたが本年より実施することゝなり川合玉堂、鏑木清方、石井柏亭、中沢弘光、安田靫彦等十名の銓衡に依り過去二年分の買上作品を決定した。即ち居串佳一の「弓」、真下慶治の「最上川の雪景」で、いづれも新人の作品である。
文化提携の為、昭和十四年伊政府は我が国画壇より毎年一点を買上げることを決定してゐたが本年より実施することゝなり川合玉堂、鏑木清方、石井柏亭、中沢弘光、安田靫彦等十名の銓衡に依り過去二年分の買上作品を決定した。即ち居串佳一の「弓」、真下慶治の「最上川の雪景」で、いづれも新人の作品である。
日本橋三越に於いて、国際文化振興会主催、外務省、拓務省、文部省、情報局並に伯国大使館後援によりブラジル児童図画手工展が開催された。三年前日本児童の作品を送つた答礼であり、伯国文部省より児童作品四千点が送られたもので、その中四百点が陳列された。
京都各塾の日本画家は大同団結をはかるべく旧臘来協議中であつたが、四月十日京都帝国大学学友会館に於いて第一回理事会を開催、竹内栖鳳、菊池契月、西山翠嶂、橋本関雪、川村曼舟を顧問とし、竹杖会、西山塾、早苗会、菊池塾、堂本塾、晨鳥社、中村塾等より選出せる理事を決定した。
日本美術院々友の芸術研究機関として組織されてゐる院友倶楽部は毎月研究会を催し、又毎春院友展を開催し来つたが、組織上不備の点が多々ある為此の度総会を開き、決議により院友倶楽部は社交機関としてのみ存置して、研究発表会の名を璞友会と名附け展覧会を開催することゝなつた。
漆工芸の作家、指導者、原材料業者及各団体、組合等全国的関係者を網羅する日本漆文化協会の創立総会並に発会式が四月四日日比谷松本楼に於いて開催された。
帝国芸術院は創立以来最初の総会を三月二十七日上野帝国学士院に於いて開催、清水院長以下会員五十名(欠席者十三名)文部省より橋田文相、菊池次官、永井専門学務局長、本田学芸課長等出席、帝国芸術院会則要綱、帝国芸術院授賞規則要綱、同会員補充、第四回文展出品要綱を決定した。
日伊親善増進の為東京市麹町区三番町に建設中のイタリア文化会館は、工事成つて二十九日三笠宮、梨本宮両殿下の台臨を仰ぎインデルリ伊大使、日伊関係官民多数列席して開館式が挙行された。同会館は男爵三井高陽の敷地寄附と原田積善会及長尾欽弥の寄附金を以つて成つたもので、在留独逸人建築家アルヌルフ・ベツオルドが設計監督に当つた。因に開館式に引続きチロ・ラグーザ等の「イタリア現代画展」が催された。
山形県出身の根上富治、菊池華秋、石山太柏、椿貞雄、土田文雄、新海竹蔵、結城哲雄等六十余名の美術家により山形県美術協会が結成された。尚その第一回展は六月山形市県会議事堂に於いて開催された。
昨秋以来館内修理のため一般観覧を中止してゐた表慶館は整備漸く成り三月八日より開館、明治、大正、昭和の美術品を陳列することゝなつた。
昭和十二年創立された日本彫塑家聯盟は、彫塑界の一元化を期し発展的解消を遂げ、三月十五日新しく全日本彫塑家聯盟の発会式が行はれた。今後その事業として、彫塑研究の為の各般の施設、彫塑各般に付当該官庁への建議又はその諮問に対する答申、製作資材等に付関係官庁との連絡等を行ふ。
漫画家として新しき日本漫画芸術建設の為の理論及技術の研究その他の主旨により建設漫画会が結成された。
陸海軍傷兵慰問の為過去二回に亘つて大量献画して来た川合玉堂門長流画塾では、第三回献画として三月一日児玉希望以下の作品五十五点の献納式を神田如水会館に於いて行つた。
新日本海洋画の創建と海洋精神の昂揚を主旨として、海軍省、海軍協会後援のもとに「大日本海洋美術協会」の創立発会式が十二日芝水交社に於いて行はれた。同協会は昭和十二年結成された海洋美術会がその組織を拡充し、従来洋画家のみであつたものに新たに日本画家を加へたものである。今後毎年一回五月二十七日の海軍記念日を中心に海洋美術展覧会、研究会、洋上観察等を行ふ。
美術を通じ内鮮一体職域奉公をなす為、二月十二日朝鮮総督府学務局長を会長とし、国民総力朝鮮美術家協会が創立された。同会は美術を通じて思想の善導及銃後愛国運動、講演座談会、展覧会を開催する。
女子美術家の和協一致に依り日本美術文化興隆の一翼たらんが為、日本女子美術院が垣見泰山を幹事として結成された。展覧会及研究会を開催する。
泰国皇帝陛下には我紀元二千六百年の祝典に際し、我皇室に深甚なる御慶祝の意を表せられ、同国の美術品の数々を御贈進あらせられた。即ち二月八日皇帝陛下の御意を受けて同国駐日公使ピヤ・シー・セナは宮中に参入、祝意表彰のメツセージ並に贈呈の宝物を捧呈した。
国防総力戦に強力なる文化の力を致す機関として詩人、画家、彫刻家二十余名により国防文化協会が結成され、結成式が二月十一日挙行された。その綱領として一、文化革新とその国防的統一、二、国民活力の涵養と教化、三、伝統精神の知的建設を挙げた。
昭和十五年度朝日賞の贈呈式は一月二十日東京朝日新聞社貴賓室に於いて行はれた。美術部門に於いては川合玉堂、佐藤清蔵、滝精一が選ばれた。即ち玉堂は紀元二千六百年奉祝記念美術展覧会に出品せる「彩雨」により、佐藤清蔵は大日本護王会の委嘱に依り製作せる「和気清磨朝臣像」によるものであり、又滝精一は美術雑誌「国華」による東洋美術の宣揚に生涯を捧げ来つた功績によるものである。なほ同日夜同賞記念講演会が蚕糸会館講堂に於いて行はれた。
関長次郎の斡旋に依り文展系並に院展系作家十三名により結成された九皐会は、七周年に当り、新体制下の情勢に鑑み解散に決定、一月三十日の総会に於いて発表した。
東邦彫塑院、新制作派協会、日本彫刻家協会その他各団体並に無所属作家により結成された青年彫塑家聯盟の発会式は、一月十二日丸の内鉄道協会に於いて挙行され、百余名が出席した。